リック・アレン (Def Leppard) #1 Pyromania & Hysteria / エディ・ヴァンヘイレン


インタビュー訳、今回は珍しくドラマーのインタビューをご紹介!


幾多の困難を乗り越え、Def Leppard のグルーヴを長年支え続けているリック・アレン!


彼が少し前に受けた Dr. Music さんのインタビューがなかなか面白かったので、その訳をご紹介したいと思います。



I: インタビュアー

R: リック



2枚のモンスターアルバム


3:00


I: あなた方はこれまでに一億枚のレコード売ってきましたが、あなた自身その衝撃を実感したことはありますか?


R: クレイジーだよね。


“Pyromania”と”Hysteria” はそれぞれ立て続けに1000万枚の売り上げを記録したんだから。


あれはとてつもない出来事だった。この地球上に同様の売り上げ記録を持つバンドはそれほど多くないと思うから、自分が本当に「特別なクラブの一員」であるように感じるよ(笑)



I: あなたはその一員で間違いないですよ(笑)


特にその二枚のアルバムに関して素晴らしいのは、「状況が全く違ったにもかかわらず」ということです。


“Pyromania”をリリース時、あなたは腕が二本ありましたが、”Hysteria”の時には腕が一本でした。


でも内容的にはそれほどかけ離れたアルバムになったわけでもなく、そこがものすごいことだと思うんです。あなたはまさに不可能なことをやってのけたのですから。


当時私はあなた方の大ファンでしたが、(あの事故の話を聞いた時に)「これで僕の愛するバンドは終わった」と周囲に話したのを覚えています。



だって、普通は腕一本でドラムをプレイするなんて無理ですから。


ところが3年半か4年近く経った頃、前作と同じぐらい最高でよく出来たアルバムがリリースされ、本当にクレイジーでしたよ。


R: そうだね、僕らがあれを成し遂げられたことは素晴らしかったよ。


そこにはマット・ラングの大きな貢献があったし、彼の才能はずば抜けていた。



彼はその二枚のアルバムの制作で僕らを大きくサポートしてくれたし、その結果二枚は大衆の心を掴むような出来に仕上がったんだ。


これは昨日だったかな、他の人との会話で話題に出たんだけど、ある調査によると、 ”Hysteria” がカナダで発売された頃、出生率が急上昇していたそうだよ(笑)


I: 爆笑


そりゃあすごい偉業じゃないですか!(笑)



謎のキーボーディスト?


5:35


I: マット・ラングと言えば、数多くの素晴らしいアルバムをプロデュースしてきましたが、彼が”Pyromania”のレコーディングに*トーマス・ドルビーを連れ込んだんですよね?


(*キーボーディスト/ クレジットにはBooker T. Boffinという名で記載されている人物)



R: そうだね、Booker T. Boffinはトーマスのことだ。


あの当時、トーマスは必ずしも僕らとの関係性を明確にしたいわけではなかったから別名義を使ったんだけど、きっと数年後(爆発的に売れた後)には「自分の本名を使うべきだったな…」と後悔したに違いないね!(笑)


彼はマットと仲の良い友人で、いくつかカッコいい要素を付け加えてくれたよ。


すごく付き合いやすい男で、僕はずっと彼の音楽のファンなんだ。


(↓なるほど、これはスタイルが全く…笑)


意外!?エディとの繋がり


6:35


I: 次に、あなたのアート作品について聞かせてください。


私達はあなたの過去の作品を見てきましたが、“Wings of Hope 2021” というコレクションについて教えてください。


今回はどういった作品なんでしょうか?



R: 僕はレジェンド達を描いた作品で結構忙しくしてきたんだけど、多分一番注目されたのはエディ・ヴァンヘイレンを描いた作品じゃないかな。


キミはこの話を聞いたことがあるかもしれないけど、僕がまだキッズだった頃…1978年だ。


同じ通りに住んでいた友人のマークが僕に電話してきて、「ちょっとキミに聴かせなきゃいけないものがある。うちに来て一緒に聴いてくれ」と。


そこで彼の家に行くと、彼がVan Halen の1stを聴かせてくれて、僕はもう圧倒されちゃったんだ。



ギターをあんな風に弾く人はそれまでに聴いたことが無かったからね。


それから数ヶ月後、Van Halen がBlack Sabbath と一緒にツアーでシェフィールドにやって来た。


彼らはサバスのオープニングだったんだけど、正直な僕の意見では、あの夜を制したのはVan Halen の方だった。


彼らはものすごくハングリーで、絶好調で、全員が揃って「ショーマン」だった。



そのずっと後、1991年に僕がアメリカに移住した時、ご近所さんの一人が偶然にもTOTOのスティーヴ・ルカサーでね。


ある夜、彼が電話してきて、「ちょっとした歓迎会をやるから、僕の家においでよ。僕の親友を紹介したいんだ、エディ・ヴァンヘイレンってヤツなんだけど」って。


「わぉ、マジか!?」って感じだったよ(笑)



で、スティーヴの家に行ってエディに会ったんだけど、僕はまさに*「スターストラック」状態だった。


(*有名人など憧れの人に会って、圧倒されること)


でも、僕にとって最も印象的だったのは、彼がものすごく謙虚で控えめだったことさ。あの様子からは、彼がステージでやっていることなど全く想像出来ないよ。


ほんとに気取らない人で、あれはとても印象に残ってるな。



続く…