Europe のドラマー、イアン・ホーグランドのインタビュー訳、後編!
前回の記事の最後で「インタビュー後編の内容次第では続くかも」と書きましたが、後編がめちゃくちゃ面白かったので、そちらも訳してみました!
今回のテーマは「Deep Purple」「アメリカのバンド達」「イングウェイ」です!
Deep Purple
20:00
I: 先ほど話に出た “Prisoners In Paradise” ツアーの後、Europeは長期の活動休止期間に入る訳ですが、あなたは様々なプロジェクトやバンドでプレイし続けていましたね。
H: そうだね、元Deep Purple のグレン・ヒューズともプレイしたよ。
僕がドラム、ベースにはジョン・レヴィン、ミック・ミカエリがキーボードで、Europeの3人がそのままグレンのバックを務める形になった。
この布陣で小規模のヨーロッパツアーと、日本を周ったんだ。確か1994年だったと思う。
これは僕にとって最高に楽しい経験だったよ。
Deep Purple は僕にとってオールタイム・フェイヴァリットであり、彼らからはとても大きな影響を受けたからね。
ドラマーのイアン・ペイスは、僕にとってドラムにおける師匠みたいな存在だったし、あのバンドの元メンバーであるグレンからオファーを受けたことは本当に光栄だった。
さらに、僕らはあのジャパンツアーをレコーディングし、ライブアルバムとして発売もしたんだ。
ああいった名曲を「僕らのバージョン」としてリリース出来たことは嬉しかったし、あのアルバムは評判も良かったんだ。
I: あなたがDeep Purple からの影響に触れてくれたのは興味深いです。
80年代のバンド…特にヨーロッパから出てきたバンドは、皆彼らを大きな影響として挙げます。
実際、私が話したことのあるミュージシャン達の口からもDeep Purpleの名前はよく出てきましたよ。
H: 僕らの場合、そもそもEurope というバンド名が彼らの “Made in Europe” から来ているからね。
確か1975年にリリースされたライブアルバムだ。(*実際には1976年)
メンバー全員彼らの大ファンだったから、彼らからの影響は僕らのバンドのDNAに刻まれているよ。
北欧におけるアメリカのバンド
22:30
I: アメリカのバンドはどうですか?キッズだった頃によく聴いていたアメリカのバンドはありましたか?
H: もちろんさ。AerosmithにBoston、KISS や Journey 辺りだね。
大まかに言うと、Europe というバンドは、Journey のメロディックな面とDeep Purple のブルージーかつアグレッシブな側面を組み合わせた感じだと思う。
(*この表現はめちゃくちゃ上手いと思いました!)
そうやって僕らは、ヨーロッパとアメリカの色々なバンドからの要素を取り入れてきたと思う。
I: 当時、スウェーデンでアメリカのバンドのライブを見る機会はありましたか?
それとも、やはりヨーロッパのバンドを見る機会が多かったんでしょうか?
H: KISSが1976年にスウェーデンでプレイしたのは覚えているよ。
あれは確か、”Destroyer” アルバムの頃だったと思う。彼らは移動遊園地か何かの野外会場でプレイしたはずだ。
あと、Aerosmith とKansasがストックホルムに来たのも覚えているし…テッド・ニュージェントも来たことがあったな。
でもこういったアメリカのバンドのスウェーデンにおける人気は、本国での半分もあるかどうかというレベルだったよ。
スウェーデンだと、やはりDeep PurpleやBlack Sabbath、 Led Zeppelinといったヨーロッパのバンドの方が強かったね。
若き日のイングウェイと…
24:20
I: 先日、あなたのキャリア初期に関する記事で、あなたは昔イングウェイ・マルムスティーンとセッションしたことがあると書いてあったのですが、あれは本当なのですか?
H: あぁ、本当だよ(笑)
当時在籍していたバンドが解散しちゃったから、ストックホルムの楽器屋さんに行ってメンバー募集のチラシを見ていたんだけど、そこで「Yngwie Malmsteen’s Rising Force、新ドラマ-を求む!」というチラシを見つけたんだ。
バンドの音楽性として「Deep Purple、パガニーニ&バッハから強い影響」と書いてあった(笑)
I: とんでもないミックスですね(笑)
H: だろ?(笑)
僕は面白そうだと思って彼に電話をしてみたんだ。
後日、オーディションのようなセッションのためにスタジオに行ってみると、そこにはイングウェイとマルセル・ヤコブの二人がいた。
今でもよく覚えてるよ、あのとっ散らかったスタジオ…。まるで爆弾で吹き飛ばされたかのようにモノやゴミが散乱していたんだ。
そこにマーシャルのスタックが2台と、小さなドラムキットがあった。
I: そんな昔でさえ彼はデカいアンプを使っていたわけですね!(笑)
H: そうなんだよ(笑)
僕らはRainbow の曲を数曲一緒にプレイしたんだけど、その後に彼は「キミは良いドラマーだな。いつから一緒にプレイ出来る?」と訊いてきた。
でも、そのセッション中、彼ら二人はずーっと喧嘩してたんだ、お互いがお互いのプレイや音量を超えようとね。
どっちがよりラウドか、どっちがより速く弾けるか、みたいにさ。まるでネコと犬の喧嘩だったよ。
僕はストックホルム郊外の出身でもっと控えめな性格だったから、その様子にビビっちゃってさ…(笑)
I: 笑
H: 結局、イングウェイが僕に加入を依頼してきた時に、「僕は夏の間とあるお店でのバイトがあるから、申し訳ないがオファーは受けられないよ」と断ったんだ。
それで彼は怒っちゃってね。
I: めちゃくちゃ面白いですね(笑)
5年後の再会で…
27:05
H: この話は1982~83年頃のことだったと思うけど、実はその後、1987年に再び彼に会う機会があったんだ。
どこかのライブハウスだったと思うんだけど、彼はバーカウンターでべろんべろんに酔い潰れて寝てたんだ。
僕は彼の所に行って肩を叩き、「イングウェイ、僕を覚えてるかい?」と尋ねると、彼は寄り目で僕を見上げて、「おぉー…あの時オレ達と一緒にプレイしなかった腰抜けやろうじゃないか」と。
彼は僕が断った件をまだ怒ってたんだよ(笑)
終
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