80年代半ばに英語もままならない状態で西海岸に渡り、プロギタリストとして生計を立て、遂にはアメリカ有数のトーク番組のスタジオバンドにまでたどり着いたトシ・ヤナギさん。
そんな彼がスラッシュのThe Conspirators のメンバーとB’z の元サポートドラマー、シェーン・ガラースで構成されるカナダのバンド・TOQUEのチャンネルに出演。
非常に面白いトークの訳をご紹介してきましたが、今回で最終回!
今回のテーマは「1986年・ハリウッド」「辞めてやる!」「憧れのエディとの対面」です。
TK: トッド・カーンズ
S: シェーン・ガラース
C: コリー・チャーコ
B: ブレント・フィッツ
T: トシさん
1986年のHollywood
29:15
TK: MI (Musicians Institute / ハリウッドの有名な音楽専門学校) での日々はどんな感じだった?
MIに入学するまでにキミはもうそれなりのギタリストだったと思うけれど。
T: でも、その頃は理論なんて全く知らなかったしね。僕は単純に、もっと色んなミュージシャン仲間と知り合いたかったんだよね。
実際、僕はあの学校でかけがえのない友達をたくさん作ったよ。
TK: (キミがLAにいた)1986年といえば、Sunset Strip のの盛り上がりが全盛期だった頃じゃない?
T: まさにそうだったね。Guns N’ Rosesが出てきて、ヘアメタルの第二の波みたいなものが起きて。
C: トシ、キミもヘアメタルみたいなすごい髪型してたの?
T: あの頃は、髪の長さが胸の辺りまであるカーリーヘアだったよ(笑)
全員:わぉ!(笑)
T: でも、ある時点で僕はフュージョンの方に進んだからね。そこまでどっぷりあのムーブメントの中にいた訳ではなかったけど。
TK: でも、あの頃はジャンルが何であろうと、誰もが長髪だっただろ?
S: Kenny G.(超有名サックス奏者)も長かっただろ?(笑)
自分にも・他人にも厳しく
31:00
S: で、MIで一年過ごしてからは?
T: 僕は一年半か二年あそこにいたんだ。その後、学校に残って、個人レッスンの指導なんかを始めたんだ。
全員:へぇー、なるほどね。
T: 僕は生徒の成績に70点とか、1.65とか細かく厳しめに付けてたんだけど、学校の運営側は「トシ、もっとユルくやれって。95点をあげてやれば良いんだよ」って感じでさ。
全員:笑
T: 僕も若かったからさ、「マジでそんなこと言ってんのかよ!?」って感じで怒って、辞めちゃったんだ。
そこからだね、フリーランスのギタリストに転身したのは。
TV番組内でのバンド
35:30
TK: 現在、キミはJimmy Kimmel Live のハウスバンドに在籍してるわけだけど、TV番組の生バンドでプレイするって、どういう感じで進行していくの?
譜面を見ながら弾いてるのか、それとも結構入念にリハをやってるの?
T: 両方だね。どんな曲をプレイするにせよ、僕らの手元には「カンニング・ペーパー」が常にあるんだ。
あと、僕らは自分達で作曲することを許されてるんだ。
TK: そうなんだ?
T: これは番組制作側にとっても好都合で、誰かの既存曲を使うことで発生する楽曲使用料を払わなくて済むし、僕らは僕らで作曲者としての権利を保持できるからね。
番組の音楽ディレクターは「皆で分け前を共有しよう」って感じで、良く考えてくれてるよ。
でも、番組にシンガーが来て僕らがバックバンドを務める場合なんかは、ちゃんと譜面が用意されるよ。
憧れのEVH と対面!
36:50
司会:あの番組では、この数年の間でいくつかのアーティストが素晴らしいパフォーマンスを披露して話題になったけど、もちろんそのうちの一組はVan Halen だ。
彼らがあの番組で野外ライブをやった時、キミはバンドやエディに会えたの?
T: あー、それね…。
さっきも話した通り、エディは僕にとって一番のヒーローだったから、彼らが2015年に番組に出るとなった時には本当に興奮したよ。
サウンドチェックが終わって彼らがステージ袖に掃けてきた時、僕らハウスバンドと挨拶する時間があったんだけど、僕はまさに*「スター・ストラック」状態でさ。
(*有名人に出会って、高揚で言葉が出てこない感じ)
僕は握手しながら「あ、ああ…、Thank you!」って…
全員:爆笑
T: それから「僕がここにいるのはあなたのおかげです」とか何か言ったと思うけど、もう全然覚えてなくてさ…
S: でも、キミはそれ以前にデイヴ・リー・ロスと活動したことがあったよね?
T: それはその後、2017~2018年位だね。
終/
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