Mr. Big のツアーを支えたほか、エース・フレーリーのバンドや Echobats / Black Swan といったサイドプロジェクト系のバンドでも大活躍しているドラマー、マット・スター。
今回はそんな彼の非常に興味深いインタビュー要訳Pt2!
遅咲きだった彼の数奇な運命が語られています。
I: インタビュアー
M: マット
プロへのきっかけはあのバンド!
4:30
I: この業界への足掛かりはどうやって掴んだの?
M: 僕は12歳でドラムをプレイし始めて以降、いつもバンドでプレイしたがってたし、実際にそうしてたよ。他にやりたいことも無かったしね。
でも、僕はバーやカバーバンドでプレイしていた期間がすごく長くてね、十年ちょっと前まではそんな感じだった。
で、ある時、自分が本当にやりたいことが何かを明確にする必要があったんだ。
僕にとって、最初のプロと呼べる仕事は、2004年の Beautiful Creatures というバンドの仕事だった。
*Beautiful Creatures
ミクスチャーロックやニューメタルといった言葉が飛び交っていた当時、いきなり現れたちょっとモダンなハードロックバンド。
後にSixx AM と Guns N' Roses で売れっ子ギタリストになる DJ アシュバが、最初に認知されたバンドで、日本でも結構話題になりました。
M: 彼らの一枚目はソニーからリリースされたはずだけど、今はアリス・クーパーのバンドで長年やってるグレン・ソベルが叩いていたんだ。
ところが、二枚目の制作の頃に彼が手首か肩に問題を抱えてしまってね。そこで僕がヘルプとして叩いたのさ。
あと、その頃には GNRのディジー・リードのカバーバンド、Hookers and Blow もやり始めたな。
あれはどちらかというとお気楽なバンドで、ギタリストだったアレックス・グロッシは今 Quiet Riot でプレイしてるよ。
40歳にして決断
6:50
M: そういった時期を経て、僕はボーカリストとしても活動し始め、色んなレコーディングセッションに参加したり、自分のバンドを組んだりして活動を続けたんだ。
そして40歳になろうという頃、僕は精神的な問題を抱えてね、あれは今思えば midlife crisis (=中年になって感じる漠然とした精神的不安)だったんだろうね。
いついつまでにこれをやって、この頃までには有名になって…とか、自分で決めていたはずの約束がずっと「いつの日か」のままだった。
自分に才能があることや自分がやりたいことはわかっていながらも、それが現実になっていなかったわけだから、何かが間違っていたんだ。
最終的に、それは自分の心持ちや感情だと気が付いたわけだけど、そこが大きなターニングポイントになったね。
運命の歯車が
8:57
I: キミはエース・フレーリーのバンドでプレイすることになる訳だけど、どの段階で彼と出会ったの?
M: 初めて彼にあったのは2012年頃だったかな、ツアーリハーサルの3日目だったね。
ある日、誰かが僕に「おい、エースのバンドのドラマーが辞めたらしいぜ」って連絡してきた。
ちょうど僕はボーカリストとしての活動からまたドラマーに戻って数か月経った頃でね、LAの知人に電話しまくって僕がドラムもプレイできるんだ、と再度刷り込んでたところだった。
連中は「あぁー、そうなんだ、歌だけじゃなくドラムもね、へぇ~」みたいな聞き流す反応だったから、僕としては「違うんだよ、そもそも僕はドラマーだったんだよ!」って(笑)
セバスチャン・バックのGt.が…
10:05
M: まぁ、全部話すと長くなっちゃうから端折るけど、今セバスチャン・バックのバンドとFoo Fighters のテイラー・ホーキンスがやってるプロジェクトでギターを弾いてるブレント・ウッズが、僕とエースのバンドのベースプレイヤー、アンソニーを繋いでくれたんだ。
アンソニーとの最初の話し合いは上手く行ったんだけど、その時に彼は「キミのドラミングが良いのはもちろんとして、僕らはKISSやエースの歌を歌えるドラマーを必要としてたんだ」と。
それを聞いた時は「おいおい、マジかよ!」と思ったよ。だって、オレは歌いたかったからこそずっとドラムを休んでまでボーカルをやってたわけでさ。
どうすればドラムをプレイしながらリードボーカルを取れる?フィル・コリンズじゃないのにさ。
でも、僕は「この機会をモノにして、叩きながら ”Love Gun” やら “I want you” のような KISS の曲を歌ってみるのもアリか?」と思った。
この経験は、自分に何が出来るかよくわからなくても、とにかく可能性に対してオープンで挑めば、良いことが起こることを僕に教えてくれたよ。
続く…
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