Dokken / Dio で活躍し、Foreigner 復活のカギにもなったベーシスト、ジェフ・ピルソンのインタビュー要訳も今回が最終回!
とりあげたい箇所が結構多くて悩んだのですが、ひとまず皆さんが一番興味をお持ちだと思われる90年代までのお話で区切らせて頂きます。
今回はドッケンでの作曲、90年代の再結成の話が中心です。
I: インタビュアー
J: ジェフ
ドッケンでの作曲
13:00 ~
I: 作曲に関して、お決まりの作曲のプロセスというのはある?
J: お決まりというのはないかな。ドッケンに関して言うと、僕が自分一人で書いた曲がバンドに採用されたことは無いんじゃないかな。
もしかすると、ドンが一度ぐらいは全て一人で作った曲があったかもしれないけど、基本的にはメンバー間での共作だね。
たまにメンバーが「ほぼ完成状態」の曲を持ち込むこともあったけど、それでもそこから大きく変わっていたよ。
最近では、手軽にアイデアを記録しておける機材もあるから、ホテルの部屋でも十分曲が作れるというのは素晴らしいことさ。
I: ライブの後に作るの?
J: いや、ステージの後は燃え尽きてるからな。
基本は朝起きて、コーヒーを飲んでエクササイズをし、そこから「ロックモード」に入るんだ。ライブの前でも曲を作ることはあるよ。
解散の原因
15:00 ~
I: その後80年代半ばから後半のピークの後、どうなっていったの?
J: 89年の始めにドッケンは解散した。詳しく話そうと思えば、このインタビューの残り時間全てそれについて話せるけど、やめておこう。
簡単に言うと、エゴやお金、ドラッグ…典型的なバンド解散の話さ。
バンド解散直後、1989年の3月13日にまず僕はクリーンになって、それ以降一度もクスリはやってない。
あれは、現実を直視しろという自分への警鐘だった。
I: お酒?ドラッグ?両方?
J: 両方だ。僕の場合、特にお酒への依存が強かった。
I: そんな状態でも当時の記憶ってあるの?
J: ああ、覚えてるんだ、これが。
Dio加入とDokken再結成
で、92年辺りから、再びドンと一緒に曲作りをするようになっていたんだけど、その頃にDio加入の話が来てね。
僕はあのバンドが大好きだったし、良い友人だったから、数年間をDIOで過ごした。
その後、94年の後半にドッケンが再結成することになり、まず “One Night Live” というアコースティックアルバムをリリースしたんだけど、これは再結成への良いアプローチだったよ。
そして95年に新しいアルバム “Dysfunctional” を制作し、その後もドッケンとしての活動を続け、まぁ、あれは良かったんだけれど、そこからまたバンド内の状況が醜いことになり…
I: 皆がシラフの状態だったけど、そうなったわけ?
J: いいや、僕はシラフだったけど、他はね…(笑)この時のもめ事は、ドラッグというよりも愚かさ、お金、エゴ…の類かな。
で、結局僕は2000年の後半あたりにドッケンを去ることになったのさ。
終/
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