ジェフ・ピルソン #2 / 負け犬だったDokken


Dokken や DIO でベースを務め、様々なバンドのプロデュースも行ってきたジェフ・ピルソン。


最近ではレブ・ビーチやロビン・マッコーリーと組んでいるBlack Swan も話題ですが、そんな彼の最新インタビュー要訳Pt.2 です!



今回は長年の付き合いとなるジョージ・リンチとのケミストリー、非常に興味深いバンドのブレイクまでの道のりが語られています。


I: インタビュアー

J: ジェフ


盟友ジョージ・リンチ


10:40 ~


最初のアルバムをリリースしたその年にツアーをやって、それはそれで印象的な経験ではあったよ。特にギタリストのジョージ・リンチとの信頼関係を築くことも出来たしね。


僕らは出会ってすぐに意気投合して一緒に曲を作り始めたんだ、ツアーでも相部屋が多かったからね。



次のアルバム ”Tooth & Nail” の頃には、僕ら二人でどんどん曲を作ってたよ、時には歌詞まで書いてた。


僕らは本当に出会ってすぐ、一瞬でケミストリーを起こしたようなもんさ。


売上で言うと、最終的にあのアルバムはゴールド(50万枚)になり、次のアルバムはプラチナム(100万枚)のセールスとなった。



なので、いきなり大ヒットを飛ばしてブレイク、という訳ではなくて、少し時間がかかったんだ。


でも、特にあの当時は、そうやってじわじわ浸透していくのは良かったと思う。じっくりとバンドの信頼性を構築できたし、熱心なファンベースを獲得していったしね。



ライブバンドへの成長


11:25 ~


I: ステージ上でのケミストリーもそうだよね?



J: その通り。僕らは名が知れ渡る頃には、結構タイトなライブバンドに成長していたよ。決して最初から素晴らしいライブバンドというわけではなかったんだけどね。


初期はもう少しプレイが不安定だった。


I: それはいつぐらいの話?80年代半ばぐらい?


J: 85年が売れ始めた年だったかな。



その前年に ”Tooth & Nail” が発売されて目に見えて人気が上昇し、85年に “Under lock & Key” が出たことで僕らはまた一段上のステップに上がった。


85年~87年にかけてが僕らのピークだったよ。



意外と薄かった実感


12:10 ~


I: その頃は自分の中で「よーし、今まさにオレ達は売れてきてるぜ!」という実感があったでしょ?



J: これが面白いことに、決してそんな風には感じられなかったんだよな。なぜなら、僕らの仲間だったモトリーやラットは僕らの何倍も売れまくってたからね(笑)


ドッケンというバンドはいつも負け犬だったんだ、そうだな、87年辺りまでは。


でも、それって良いことでもあったんだ。その感情のおかげで僕らはずっとハングリーな状態で、一生懸命働き続けることができたんだから。



自分の感覚としては、ああいう一生懸命なバンドに在籍していたことは幸せだったし、あのバンドが才能豊かだということも知っていた。


他のバンド達とは異なる個性があったという事実も、僕を刺激したんだ。


続く…


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