エアロスミスでジョー・ペリーの影に隠れながらも、その素晴らしいギタートーンで有名なブラッド。
寡黙な彼が、ラスベガスの長期公演中に応じたロングインタビューの要訳Pt.3!
今回はエアロのカタログの中でも1・2位を争う不人気作(笑)・ "Done with Mirrors"について、さらにはインタビュアーが見た「ジョー&ブラッド不在時期のエアロのライブ」等です!
D: 番組ホスト・ディーン
B: ブラッド
Done With Mirrorsについて
34:45 ~
D: 実は、僕は ”Done With Mirrors” アルバムが大好きだったんだけど、作ったキミたちは好きじゃないんだよね?
B: あの作品は…正直、完成すると思えなかったよ。ロックンロールな歌詞を書かせたら一流のスティーブンが、あの時はクリエイティブなモードではなかった。
オレがあのアルバムで好きな曲は “My first your face” かな。あとは… ”Shela” とか。
D: あれはキミが書いた曲だよね?良い曲だよ!
B: ありがとう。でも、あれはやっぱり ”Rocks” や “Toys” とは違うよ。(笑)
(*っていうか、ちゃんと好きじゃないアルバムの収録曲を覚えているのがすごい!スティーブン&ジョーは覚えているだろうか…笑)
ジョー&ブラッド復帰後のライブ!
35:50 ~
D: あなたとジョーがいない時期のエアロのステージを見たことがあるんだけど、ほんと「終わってた」よ。
このバンドは「終わったな」と思った。自分が目の前で見ているものを信じることが出来ないほどだった。
そして数年後、あなた達ギタリスト二人が戻ってのライブ。
当然しらふになってるだろうと思って見に行ったら、あんたらステージ袖で吐いてたんだぜ!あれには参ったよ(笑)
それでも、あの “Done with Mirrors” というアルバムは、何か不思議な魅力を持っていたんだ。聴いていると、「これまでと全く違うバンドだ!」みたいな感じがして。
名将テッド・テンプルマン
B: あの時、オレ達がもっと良い曲やアイデアを持っていたらなぁ、と未だに思うよ。オレは(プロデューサーだった)テッド・テンプルマンの大ファンだったから。
彼とはせっかくウマも合ったのに、曲のアイデアが十分ではなかったから、彼もストレスを感じていたよ。
D: これまでジャック・ダグラスやテッドのような様々なプロデューサーと仕事をしてきたと思うけど、「あ、この人は実際のサウンドを作ってくれる人だ」と思ったのは誰?
というのも、彼らの中にはあまり実質的なサウンドプロダクションをしない人達もいるだろ?
B: そうだな…、彼らは皆それぞれに違うよ。ケミストリーが生まれるかどうか。
例えば、ジャックなんかは、オレ達が提示したものを「さらに良くする方法」を知っている。だからこそ、オレ達は彼を「6人目のメンバー」と考えているんだ。
彼はレコーディングに入る前の段階で色んなアイデアを具体化してくれて、非常に助かるんだ。
“Rocks” や “Toys” なんてのは16トラックのレコーダーて録ったわけで、まさにすべてが手作業だった。コンピューターなんてありゃしない時代だ。
ミックスなんか、3人とか4人がミキシングボードに張り付いて手作業でやってたんだぜ!(笑)
続く…
インタビュアーが "Done With Mirrors" を聴いた時に「これまでとは違うバンドのように感じた」と話していましたが、後追いで聴いたエアロファンの一人として、やはりこのジョー不在の "Rock In A Hard Place" (82年)⇒ 再結成 "Done With Mirrors" (85年)の間のサウンドの進歩はビックリしました。
それはもちろんテッドによる手腕もあるでしょうし、一方でレコーディング技術そのものが進化した時期でもあったようにも感じます。
ま、それを言うと、この次のギャップ "Done With Mirrors" ⇒ "Permanent Vacation" もかなりの飛躍なのですが…。
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