シェーン・ガラース (MSG/B'z) / 日本での活動&影響を受けたドラマー


今回のインタビュー訳は、これまでにマイケル・シェンカーやイングヴェイ・マルムスティーン等、幾多の猛者たちを支えてきた名ドラマー、シェーン・ガラース。


日本では、B’zのサポートメンバーを長年務めたことでも知られていますよね。



今回は、そんな彼の最新インタビューからの抜粋訳をお届けします。


I: インタビュアー

S: シェーン


マーティー・フリードマンは別次元


4:05


I: あなたが日本でやってた仕事について聞かせて頂けますか?


S: 僕は日本を拠点に活動しているB’z というポップロックバンドとプレイしていたんだ。



彼らの活動に合わせて日本とLAを行ったり来たりしてたから、この17年間は疑似的に日本に移住してたような感じだったよ。


I: (ロック・コミュニティーで)同じようなことをやった人と言えば、元Megadeath のマーティー・フリードマンが思い浮かぶんですが、彼も日本に住んで、向こうでは有名人なんですよね?


彼は自らを日本の文化に身を沈め、言語も学んでたと思いますが、あなたも同じようなことを?



S: ほら、マーティーはオタクだからさ(笑)


彼はもうずいぶん前から日本語を学んで漢字だって操れるし、彼は向こうの文化に精通してるだけではなく、もはや日本人レベルで日本語を話せるんだ。


トークショーのホストだってやってたんだから。


I: それは私も聞いたことがありますよ。日本ではポップアイコンなんですって?


(↓この話、興味深いです…)


S: まさにそんな感じさ。


僕も日本語で基本的なコミュニケーションは出来るけれど、マーティーはもう別の次元さ。



鍵はマイケル・シェンカー


5:35


I: アメリカで活動していたあなたがどうやって日本のバンドとの仕事を?


S: 僕はB’z と活動する前、97~98年頃だと思うけど、マイケル・シェンカーと一緒にプレイしていたんだ。



そのB’z のギタリストTak Matsumoto はマイケルの大ファンで、彼らがLAでレコーディングをしていた時にちょうどマイケルのHouse of Blues 公演があって、そこに彼らが見に来てたんだ。


彼らはその時に僕のプレイを見ていて、数年後に新ドラマーのオーディションをやる時に、僕の名前が候補として挙がったらしい。


そんな感じで、彼らと活動するようになったのさ。



ジョン・ボーナムの影響


11:10


I: ドラマーとして、影響を受けたのは?


S: 特に最初の頃、影響というよりもドラムスティックを握るきっかけをくれたのは KISS のピーター・クリスだね。



実質的な影響という意味では、ジョン・ボーナムが一番だと思う。


あとは、アレックス・ヴァンヘイレン、ディーン・カストロノヴォやヴィニー・ポールかな。


その後はジャズ・フュージョンも通ったから、ヴィニー・カリウタとかね。



ロックという括りであれば、今でもやっぱりボーナムだね。彼が僕にドラムに関するグルーヴやパワーを教えてくれたよ。


I: 彼はツェッペリンにとって大きなエンジンだったと思いますし、彼が亡くなった時にバンドが代わりを探すことなく解散したのは、賢明な判断だったと思いますよ。


ファンはバンドが続くことを望んだと思いますが、バンドはあの役割は他の誰にも務まらないと判断したわけで。



ジャジーだったピーター


12:44


I: 私は大のKISSファンなんですが、あなたのドラミングを聴く限り、あなたからピーターの名前が出るのは意外でした。


ピーターはAlive! の “God of Thunder” や “100,000 Years” のソロとか、ドラッグが彼のプレイに影響を与えてしまう前のキャリア初期の方が良いドラマーだったと思いますが。



S: あの頃のピーターはクールなプレイをたくさんしてたよね。”She” とかも良かったし。ジャズっぽいグルーヴだったんだよ。


I: そうですね。ピーターに関して興味深いのは、今あなたが指摘した通り、彼は以前インタビューで、自身をロックドラマーよりもジャズドラマーとして見ている、と話していました。


彼はKISS に加わる前にジャズをプレイしていたので、「ロックの叩き方」を学ぶ必要があったそうですよ。



終/


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