デズモンド・チャイルド #3 / シングル量産& Livin' On A Prayer


超ロングインタビューということで、先日一度切らせて頂いたデズモンドのインタビュー。


大体面白い箇所の把握が出来ましたので、今日はPt.3 をご紹介します。


今回のテーマは「シングル量産の仕組み」と「Livin' On A Prayer 作曲の裏側」です。



インタビュアーはマイク・ブランさん。


I: インタビュアー

D: デズモンド


なぜシングル曲が多かった!?


38:30 


I: 80年代、私はアルバムを買って帰宅すると、開封してからまずライナーノーツを見てたんです、実際に曲を聴き始める前に。


そこで作曲者の中にあなたの名前を見つけると、「あ、この曲とこの曲はデズモンドの曲だからきっと良いはずだ」という具合でした。


KISS, BonJovi, Aerosmith…あなたはどのバンドと組んでも、あなたの曲がほぼシングルになっていましたよね。



D: そこには理由があるんだ。


あの頃、彼らは決まってレコーディングセッションの最後の方で僕に連絡してきてたんだよ、まるで「保険」をかけるかのようにね。


「OK、アルバムの仕上がりは素晴らしいよね。でも、『一応』デズモンドを呼んで、彼と一緒に何が出来るか様子を見てみよう」


みたいなとこさ。



そこが肝なんだけど、そういう状況で僕が提示する曲は、彼らにとってまだ耳馴染みがなく、当然新鮮に聴こえるだろ?


レコード会社やマネージメントの連中を呼んで、僕の曲を聴かせると(興奮しながら)「これだ!!これがアルバムからの最初のシングルだ!」となるわけさ。


だって、(そこに至るまでに)バンドが中心となって仕上げてきた他の曲とは全然違うんだから。



I: なるほど。


D: 彼らが「念のため」レベルで僕を呼んでるという事実と、そんな僕が僅か2~3日でいきなりホームラン級の曲をいくつか提示するという事実が、僕にとっては都合よく働いたんだ。



KISS / Asylum


39:40 


I: KISS の “Asylum” アルバムで、あなたは “Who Wants To Be Lonely” と “Uh! All Night” をポールと共作していますが、この2曲では他にジョン・ビヴォアの名前もあります。


あなた方は3人で集まって一緒に曲を書いたのですか?



“Who Wants ~" の方は、オレ達3人でポールの家に集まって書いたと思う。あれは僕のお気に入りの曲だね。


なかなか忘れられない、洗練された曲だと思う。


あの頃の共作ってのは、それぞれの魂や人生経験を持ち寄るようなものだったんだ。



Livin' On A Prayer / トミー&ジーナ


40:40


僕とジョン・ボンジョヴィ、リッチー・サンボラが “Livin’ On A Prayer” を共作した時は、まさに僕ら3人が持ち寄ったそれぞれのストーリーを合体させたんだ。


ジョンはいつも「ボニーとジョー」の話をしていた。高校時代から知っている友人たちの話さ。



リッチーはあの頃、彼の両親のことをよく話してたと思う。


彼らもまだ若かったし、生計を立てるのに必死に頑張っているニュージャージーの人々のことを彼は想っていたよ。


僕のストーリーは、当時一緒に暮らしていたマリアだった。


彼女はダイナーで働いていて、時にはステージで歌ったりもしていたんだけど、仕事中には偽名を使っていたんだ。



その名前というのが、Gina Velvet (ジーナ・ヴェルヴェット)だった。 “Livin’ On A Prayer” に出てくるジーナという女性は、これが由来なんだ。


で、オレの元々の名前はジョン・バレットだったから、「ジーナ&ジョニー」のストーリーとして提案したんだけど、ジョンは「オレもジョンだから、ジョニーという名前では歌えないよ。自分のことを歌ってるようになってしまうから」と。


(本名ジョン⇒あだ名・ジョニーは定番)


(↑ポール・スタンレー方式の移動!)


そこでオレが「それもそうだよな…。えーっと、ジョニー…トミーでどうだ?トミー&ジーナの話だ」という具合さ。


こうやって、オレ達はそれぞれの経験・アイデアを一つの鍋にどんどん入れて料理していったんだ。


続く…