デズモンド・チャイルド (KISS/ Bonjovi) #2 / ジーン・シモンズとの和解&ソングライター人生


KISS, Bonjovi, Aerosmith, Alice Cooper 等、錚々たるアーティストと共作し、その多くをヒットさせてきたデズモンド・チャイルド。


彼が受けたロング・インタビューの要訳Pt.2 ですが、今回は振れ幅のすごい記事となりました。


前半は、前回の続きで「ジーンとの仲直り」、後半は「ゲイとしての苦悩」という2つのテーマになります!



今回一応Pt.2 としてありますが、あまりにも長いインタビューなので、このまま連続してPt.3, Pt.4…と続けるのは非現実的です。


ですので、この先、私が聴いていって面白いエピソードを見つけ次第、その都度Pt.3 / Pt.4 という形で紹介させて頂きます。


I: インタビュアー

D: デズモンド


ジーン・シモンズとの和解


14:15 


D: その後、僕らがどうやってまた友達になったかというと…


僕は以前、Sunset Blvdのビバリーヒルズ・ホテル内にあるとてもレトロで素晴らしいダイナーに昔よく行ってたんだ。



そこにはレトロな曲線を描くオシャレなカウンターに、床に備え付けられた腰高のイスがあったんだけど、僕はそこでゆっくりしながら NY Times を読んでたんだ。


その時は、店内に僕以外のお客さんは全然いなかった。


すると突然、僕は自分のふとももの側面に何か変な感触を感じて、次の瞬間何かが僕のお尻をぎゅっと持ち上げたんだ!


驚いて振り返ると、ジーンがソーっとしゃがみながら入って来て、そのイスの下の隙間から僕のお尻を持ち上げてたんだ(笑)


(↓イメージ)


それから彼は僕の隣に座って、色々と話して…こうして僕らは友達になったって感じさ。


ジーンがキミのお尻を掴むっていうのは、それは「友情のジェスチャー」みたいなものなんだ。


(*どんな解釈や!?笑)


I: 次に僕がジーンに会う時には、それを肝に銘じておくよ(笑)



人生のジュークボックス


19:20


I: 僕があなたの名前を知ったのは、KISSの”Dynasty” アルバムでしたが、あなたにはトップ40入りを果たした曲が80曲ぐらいありますよね?


でも、多分…


(*ここでデズモンドが、「それ以上あるぜ」と↑のジェスチャー・笑)



I: それ以上ですか?申し訳ないです、あなたの功績を低く見積もるつもりはなかったですが…


D: (少し曲名をあげて)僕は6つのディケイド(60年間)に渡り、No.1ソングを生み出したんだ。


I: それはとんでもないことですね!


D: 他にだれがこれを言える!?



I: 無理ですよ。だから私はあなたを「僕の人生のジュークボックス」と呼んでいるんです(笑)


ただ、あなたはこれだけの名曲を生み出しても、恐らくまだ外を普通に出歩けますよね?


例えば、ジョン・ボンジョヴィなんかは、大勢の人にもみくちゃにされずに外出することは出来ないと思いますが、あなたは外出した時にそうやって認知されたいと思いますか?


D: いいや、そうは思わないね。それに、ジョンは(Livin' On A Prayer等がヒットした時)僕に対する注目まで全部奪っていってしまったから…(←もちろん、冗談・笑)



訪れた苦悩



I: その裏方に徹して曲を生み出していくというのは意図的にですか?それとも…


D: いいや、僕はあの頃スーパースターになりたかったさ。


でも、僕が自分のバンドDesmond Child & Rouge で2枚目のアルバム頃、僕は自分がゲイであることのカミングアウトなんかで、自暴自棄になっていた。



当時、僕はグループのメンバーだったマリアと付き合っていて、NYのイーストサイドに4年半一緒に住んでいたんだ。


その中で、僕は自分がバイセクシャルというよりかは、ゲイであることに気付いてしまった。それはすごく精神的に苦しいことで、色々あってバンドは解散してしまったんだ。


ゲイである自分にとっては、「見えない天井」があったよ、色んな形でね。



ソングライターへの道


22:50


色んなアーティストとの共作を経て、僕はBonjovi やAerosmith との共作をするようになっていったんだけど、僕はああいった「男性の世界」において、プロデューサーになることは実質的に認められなかった。



無意識的にというよりかは、意識的にだったと思うけど、業界としては、ゲイのヤツにスタジオでの作業を仕切って欲しくなかったんだよ。


だって、そのアーティストがどれだけビッグであろうと、レコーディングにおいてはプロデューサーがボスだからね。


そして、アーティストは自分達のベストをファンに届けるために、プロデューサーに従わなくちゃいけない。



ということで、彼らとしては、一緒に曲を書くことは問題ない、と。そこには確かに曲の良さがあったからね。


でも、チームの中でトップとなると話は別だった。


こうして、僕は色んな連中から「共作」を頼まれるようになったのさ。



続く…