今回ご紹介するインタビュー訳は80~90年代、大ヒット作を連発したコンポーザー&プロデューサー、デズモンド・チャイルド。
KISSやBonJovi、Aerosmith を始め、錚々たるアーティストが彼と組んでその多くが大ヒットとなりました。
今回はそんな彼のインタビューから、面白かった箇所を抜粋してお届けします。
インタビュアーはマイク・ブランさん。
I: インタビュアー
D: デズモンド・チャイルド
Lovin' You Baby の共作
10:25
D: あの当時(70年代後半)、僕が自身のバンドDesmond Child & Rouge でやっていたのは、ダンスミュージックのビートにロックを合わせるというものだった。
ポール・スタンレーが僕らの音楽のファンで、ある時一緒に曲を書いて欲しいと依頼してきたんだ。
これが後に I was made for lovin’ you” になるわけなんだけど、それを知ったジーン・シモンズは「ポールは狂ってる」と思ったらしい(笑)
リリース後も、彼はずっとあの曲を嫌っていたからね。
ところが、(2016年公開の映画)”Why Him?” であの曲がフィーチャーされた後は、ジーンも昔ほどあの曲を嫌わなくなった(笑)
I: 彼が小切手を嫌うわけないですもんね(笑)
D: その通り、それは彼にとって大きなことだからね。こうしてあの曲に対する彼の嫌悪感は少しマシになったみたいだ。
(↑待て待て、どんな映画や!!笑)
ジーンによる不可解なネガキャン
11:00
I: あなたに一つ訊きたかったのは、KISS ファンはこれまで、ジーンの口から「デズモンドをスタジオから遠ざけろ!」とか、あなたに対するネガティブなコメントを聞いたことがありました。
でも、さきほどあなたは、「ジーンは友人でありメンターでもある」と。いつ・どうやって二人の関係性は変わったんでしょう?
D: 彼がああいう発言をした頃、KISS はボブ・エズリンと組んで ”Elder” を制作していた。
ボブと僕はすごく仲の良い友人で、一時期彼が家を探す間、半年ほど僕らの家に泊めてあげてたくらいなんだ。
あの当時の僕は、BonJovi, Aerosmith, Alice Cooper, Joan Jett にRatt といった連中と共作をしていて、僕は彼らの作品にポップ面での影響をもたらしていたように思う。
そして、僕が彼らと共作した曲の多くはシングルになり、ヒットしていた。
一方で当時のKISS は、バンドとしてのアイデンティティを見失いかけていた頃だったんじゃないかな。結局、ノンメイクになったしね。
彼らとしては、「自分達がやるべきは、そんなトレンドに逆行して、誰とも共作しないことだ」ということだったんだろう。
ジーンからのメッセージ
12:50
で、冗談のつもりだったのか何なのか、ジーンは世界中のメディアから受ける200ものインタビューで「オレ達はデズモンド・チャイルドがスタジオに近づけないように、ガードマンを配置してる」と吹いて回ったんだ。
まぁ、彼らしいユーモアだったわけだけど、当然僕の心は傷ついたさ。
I: 当然ですよ!
D: なぜ自分の懐にお金が入るように手伝ってくれた人間を悪く言う必要があるのさ?
僕はポールに電話し「一体これは何なんだ?なぜジーンはこんなことを言ってるんだ!?」と。
するとポールは、「ジーンはいつもジーンなんだ。僕にも彼はコントロールできない。わかるだろ?」って言うから、「とにかく、オレは傷ついてるし、黙りやがれって伝えてくれ」と話した。
すると数時間後、僕の電話の留守電にメッセージがあった。(何とも思ってなさそうなトーンで)
“Hi, it’s Gene. Sorry”
ガチャン…それだけさ。
I: 爆笑
D: 彼の人生の中で唯一の大きな謝罪だと思うよ…(笑)その相手が僕で光栄だよ!
続く…
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