Dokken や DIO といったバンドでベーシストとして活躍し、ソングライターやプロデュース業も行っているジェフ・ピルソン。
直近では Whitesnake のレブ・ビーチとのバンド、Black Swan にも参加しているジェフの最新インタビュー要訳です。
I: インタビュアー
J: ジェフ
SFからLAへ
8:30 ~
I: ドッケンとしてのスタートはどんな感じだったの?
J: 1983年、(レーベルオーナーの)Mike Varney / マイク・ヴァー二ーの所にドン・ドッケンから電話があり、「歌えるベーシストを知らないか?」ということだった。
当時、僕はちょうどLAに越してきたばかりでね。それまではサンフランシスコに住んでいたんだけど、あの頃のSFの音楽シーンは、パンクとかニューウェイブとかであまりイケてなかったんだ。
そこで僕は、ロックシーンが盛んだと聞いていたLAに引っ越してきたところ、マイクが僕とドンを繋げてくれたんだ。
ソングライターとしての手腕
9:15 ~
I: その段階ではもう作曲はやってたんでしょ?
J: ああ、僕は15歳の頃からずっと曲を作ってたよ。
I: つまり、「いつか自分の曲をバンドでプレイして世に送り出すぞ」とは思いながらも、その手段がないままずっと曲を書いてたってこと?
J: そうだね、あの頃僕はトッド・ラングレンのようなポップソングも好きだったし、誰かに提供するわけでもなく様々なタイプの曲を書いてたよ。
その一方でもっとプログレみたいなのもやってたけどね。
とにかく、そうやって良い作曲家になるべく曲を作り続け、ドッケンに入るまでにいくつかバンドにも在籍しながらより作曲に関して真剣に取り組むようになっていったんだ。
実を言うと、それこそがドンが僕をメンバーに選んだ理由の一つだった。
彼らは当時の僕が作っていた曲を聴いて、僕を作曲者としてもバンドに加えたいと感じたんだ。
ブレイクまでの道のり
10:22 ~
I: そこからどれぐらいの期間でバンドは売れ始めたの?
J: 僕が加入した時には一枚目のアルバムの制作は終わっていて、そのアルバムがリリースされた一週間後ぐらいに加入したんだ。
だから、PVに僕は映ってるんだけど、プレイ自体は僕のものではなかった。
そこからの展開は、決してとんとん拍子ではなかったな。
続く…
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