今や押しも押されぬトップギターメーカーとなったポール・リード・スミス。
その創設者であるポール自身が、自社製品を使うアーティストと対談するシリーズが非常に興味深いのですが、今回はそこに出演したオリアンティとの対談の訳をお届けしています!
オリアンティよりも、ただただ「おじさんギタービルダーのオタクっぷり」(*最大の賛辞です!)が目立つ後半、どうぞ…(笑)
P: ポール
O: オリアンティ
夢見る少女じゃいられない!
6:45
(*オーストラリアで活動していた13~14歳の頃)
O: あの頃の私は、来る日も来る日もPR用のキットを作ったり、それを色んな所に送ったりして、売れるために必死だった。
「私はアメリカに渡って成功して、キャデラックを買うのよ!」って周囲に言いまくってたいけ好かない女の子だったわ(笑)
私はギターを持ったその日から、アーティストの道に進むことをずっと夢見ていたから。
ある時、父親が私に最初のPRSギターを買ってくれたんだけど、確かあれは1987年製の、昔のファクトリーで作られた一本だったわ。
とても良いギターで、今でも持っているお気に入りの一本なんだけど、それを手にしてからというもの楽し過ぎて、毎日ギターを置こうとしなかったの。
(↓ヌーノ、セブとの共演!!)
で、これこそ自分がこの先の人生でやるべきことだ!と思ったの。自分に他のことが上手く出来るように思えなくてね。
オリ⇒ポールへ質問
11:40
O: キッズだった頃、あなたをギタープレイヤーの道へいざなったアルバムは?
P: 多分、最初のジミ・ヘンドリックスのアルバムから The Allman Brothers のライブ盤辺りだったと思う。リッチー・ブラックモアもよく聴いたよ。
でも、サンタナを聴いた時、これをマスターするのに何か月もかかったよ。(*↓12:18)
たった2つの音を、どうやってあんなモンスター級のサウンドで出せるんだよ!?
僕はそれがアンプやギターの問題ではないということだけはわかっていたから、それを突き止めるべく何か月も研究したよ。
あと、Allman Brothers の方では、こんな感じのフレーズを聴いて (*↑12:40)、「なんて素晴らしい音なんだ…」と惚れ惚れしたよ。
彼らをコピーした時は、コードよりもビブラートやフィーリングを習得するのにより多くの時間を費やしたんだ。
彼らは身体を小刻みに揺らしながら弾いていたからね。
O: 私の場合、それはB.B. Kingだったわ。
彼のビブラートを真似るために何時間も座って練習したもの。Fシェイプのコードとビブラートは、「OK、これはちょっとばかり時間がかかるわね」と思った2つだったわ(笑)
記憶に残る一本は?
14:35
O: 私からもう一つ質問があるの。
さっき、あなたが私にお気に入りのギターを訊いてくれたけど、逆にあなたがこれまで作ってきたギターの中で特に思い入れが強かったものは?
P: (長い沈黙の後)サンタナに作ったものだね。
その当時、彼は既にお気に入りの一本を使っていたんだけど、ある時「トーン・コントロールが付いたものも欲しい」と言ってきたから、僕は新たに作ったんだ。
で、コンサートの前に彼はミート&グリートを終えて、ステージのサウンドチェックに来た。
音を出した彼は、ギターテックに向かって「ハイエンドが足りないから、もう少しハイエンドをあげてくれ」と頼んだ。
テックが、「トーン・コントロールで調整してみてください」と答えると、カルロスは「オレのギターにはトーン・コントロールは付いてないだろ?そっちでハイエンドをあげてくれ」と。
再度テックが「トーン・コントロールでやってみてください」と言うと、カルロスは怒りながら「だから!オレのギターにトーン・コントロールが無いのはお前も…」と言って抱え上げたそのギターには、ちゃんとトーン・コントロールが付いていた。
そう、カルロスがその時弾いたのは、僕が持って行ったトーン・コントロール搭載の新しいギターだったんだ。
つまり、彼は実際に肩から掛けてみて音を出した上でも、普段自分が使い慣れていた一本との違いに全く気が付かなかったんだ。
カルロスはそれを知って「ポールはどこだ!?」と言うと、僕がアンプの後ろから「ここだよ~」と言って姿を現したんだ(笑)
僕はあの瞬間をすごく誇らしく思ったよ。だって、それだけの品質のものを複製することが出来た訳だからね。
当然、見た目からスペック、何から何まで全く同じ仕様にして、トーン・コントロールがあることだけが唯一の違いというレベルだったよ。
終/
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