フランク・フェラー (Guns N' Roses) #2 / GNR加入の経緯


パンク・オルタナ系から GNR のドラマーへとたどり着いた異色のドラマ-、フランク・フェラー。



HR畑ではないだけあって、今でも彼のことをよく知らない(興味ない?・笑)方も結構多いのではないでしょうか?


そんな彼のインタビュー訳Pt.2、今回は前回からの続き「リチャード・フォータスとの出会い・後編」と「ブライアン・”ブレイン”・マンティアからの引継ぎ」等です。



I: インタビュアー

F: フランク



リチャード・フォータスとの出会い・後編


*The Beautiful というバンドでツアー中にレコード契約を切られたフランク。その続きです。


オレ達 The Beautiful はNYに戻ったけど、契約を失ってバンドの活動は停止。オレ自身も普通の仕事に戻ったんだ。


レコード契約を切られた段階で上司に電話して、「一週間後にそっちに戻るから、シフトに入れておいてくれ」って頼んでたんだ。


あの当時、オレはNYのセント・マークス・プレイスで靴の販売をやってたんだけど、ある晩シャッターを下ろしてた時、フォータスが店の前を通ったんだ。



オレ達は目が合って「おい!ここで何やってんだ?」ってなって話し始めたんだけど、当時のフォータスのバンドメイト、リチャード・バトラーは、オレが働いてた店の通りの向かい側に住んでて、フォータスもそこに出入りして曲作りをやっていたんだ。


で、彼らがドラマーを探さなきゃいけないって話だったから、「オレはここで靴を売ってるから、いつでも声をかけてくれよ」って伝えてね。



それから一年後だったかな、僕らは一緒に活動するようになって、LAに拠点を移したんだ。多分、93年頃のことだと思う。


こんな感じで、オレが彼のプレイを見て「素晴らしかったよ」と声をかけたことからオレ達の関係は始まり、2年後に一緒のバンドでプレイするようになって、この25年間はずっと一緒にプレイしてるって感じさ。



GNRとの活動


21:55


I: 最初にガンズの話が来た時には、長期の活動になるとは思ってなかったんだよね?



F: 当初、オレは(当時のドラマ)ブライアン・”ブレイン”・マンティアの代役で、3ヵ月間のツアーだけの予定だった。


ツアー中に彼の奥さんの出産があって、彼は家に戻りたかったんだ。


I: どの段階で、ガンズとの活動が一時的なものじゃなく、長期になるとわかったの?あと、そうわかった時はどう感じた?



F: そうだな…、とりあえず僕はブレインの代役でツアーを終え、彼は一度バンドに復帰し、いくつかのショーで叩いた。


ところが10月頃にまた彼から電話があり、その先のオレのスケジュールが空いてるかどうかを訊いてきた。


子供が生まれたばかりだし、彼はまた8週間も家を空けたくなかったんだ。


この時点では、事実上彼はまだガンズのメンバーだったんだけど、もうツアーをやりたくないのは明らかだった。



彼は他にもプロデュース業や作曲の仕事もやっていたからね。彼には、なるべく家族と一緒にいながら生計を立てる環境があったのさ。


結局、2006年の秋頃、オレはまたガンズでプレイすることがハッキリした。


この時のオレのリアクションとしては、そりゃもちろん嬉しかったさ。



特に、このツアーではNYのマディソン・スクエアでプレイしたんだけど、オレが子供の頃に憧れたKISSを見たまさにその場所だったからね。



バンド内の雰囲気は?


23:35


I: 加入した当初のバンドの雰囲気はどうだった?特にあの時のラインナップって、非常に幅広いバックグラウンドを持ったミュージシャンの集まりだったと思うんだけど。


あと、メンバーの入れ替わりも結構あったけど、皆がしっかりと同じビジョンを共有できていたのか、それともそれぞれのメンバーはもう少し独立した存在だったのか?



F: オレが加入した段階でのメンバーは Chinese Democracy 期の連中だったから、当然ああいう方向性を共有していたと思う。


もちろん、ライブでは古い曲もやっていたけれど、より新しい楽曲への志向があったように思うよ。



続く…