ケニー・ウェイン・シェパード #1 / 初ステージは朝の4時まで…



高校生でレコード契約を獲得し、その後も全くブレることなく侍のようにブルース街道を突っ走るイケメンギタリスト、ケニー・ウェイン・シェパード。



現代のギターシーンにおいては、間違いなく最高のストラト使いの一人だと思います。


今回は、そんなケニーの外出規制下で行われたインタビューの要訳をお届けします。



I: インタビュアー

K: ケニー


SRVで火が付いた!


8:45 


I: どうやってギターをプレイし始めたの?


K: 子供の頃、最初はナイロン弦の張ってあるおもちゃのギターみたいなので遊んでたんだ。


初めて本物のエレキギターを弾き始めたのは、スティーヴィー・レイ・ヴォーンに出会った数ヶ月後、7歳になってからだった。



そこが大きな人生のターニングポイントになったんだ。


彼があの恐ろしいまでのエネルギーと感情でギターをプレイするのを目の当たりにし、これこそ自分がやりたいことだ!と感じて、「練習という名の長い旅」が始まったんだ。



13歳、ド緊張の初ステージ


9:14


13歳になった頃、ニューオリンズのバーボンストリートを拠点に活動する盲目のブルースアーティスト、ブライアン・リーを見に行ったんだけど、その時彼に誘われて一緒にステージに立つことになった。



僕はすごく緊張していて、しかも恥ずかしがり屋だったから、「すごく上手く行くか、最悪の経験に終わって二度とステージに立ちたいと思わないかのどちらかだろうな」、と思ったよ。


幸運にもすごく上手く行って、僕はスタンディング・オベーションを受け、本来は2曲だけプレイする予定だったのが、彼は夜中の3時か4時ぐらいまで僕をステージから降ろしてくれなかったよ。



でも、素晴らしい経験だった。それのおかげで僕はギターを続ける自信を貰ったからね。



まさかのアーヴィン・エイゾフ登場


10:30


K: その直後、14歳の時に人生初のレコーディングを経験し、16歳になる前にレコード会社と契約したんだ。



I: アーヴィン・エイゾフ(超有名敏腕業界人)がキミのキャリア初期を後押ししてくれたんだよね?


K: 彼が直々に僕と契約を結んでくれたんだ。



あの当時は今みたいにSNSやYouTubeなんて無かったから、バンドを組んで良いライブをやって、自ら良い評判を巻き起こすしかなかった。


で、少しずつルイジアナの10代のキッズがブルースをプレイしているらしいという評判が広まり、それがカリフォルニアにいたアーヴィンの耳にも届いたらしい。



彼はレコード会社のA&Rを僕のライブに送りこみ、その後僕の父親に連絡してきて、一緒にランチを取りながら契約の話をしてくれたんだ。


I: 一応、知らない人のために言っておくけど、アーヴィン・エイゾフは音楽業界において、この50年間で最も影響力の強い一人だからね(笑)


K: うちの父親(元ラジオ曲勤務)も、レコード会社のトップがわざわざ契約に来てくれたことで、自分の息子を安心して契約させられると感じたらしいよ。



すぐに訪れた成功


12:50 


I: そしてキミは1枚目のアルバム ”Ledbetter Heights” と2枚目 ”The Trouble Is” ですぐに成功を収めるわけだけど、特に後者はビルボードのブルースチャート史上最も長い期間チャートインした作品だよね。


その頃には、ずっと音楽でやっていけると考えていたのか、それとも…


だって、アルバム2枚出したとはいえ、まだ18歳だったわけだから、少なからず不安はあったと思うんだけど?



K: ある意味僕は純粋だったと思う。


あの頃僕が知っていたのは、保証なんて何も無くて、LAにあるレコード会社の凄く影響力のある人が、アルバムの制作費を出してくれてるってことだけさ。


彼は僕に「自分の作りたいケニー・ウェイン・シェパードらしいアルバムを作れ」と言ってくれたよ。



別にインストアルバムでも構わないと言ってくれたんだけど、それは僕がやりたいことではなかったからね。


僕は父親がラジオ局のDJだったから、ずっとメロディや歌が乗ってる曲に慣れ親しんで育ったんだ。だから、自分が作りたい音楽もやはりそういうタイプのものだった。



続く…