今回のインタビュー訳は、Def Leppardのリックからドラマーリレー!
ということで、Europe のドラマー、イアン・ホーグランド!
彼のインタビューがフィーチャーされることはなかなか無いのではないでしょうか!?
それほどバンドのことに詳しくない私が聴いても非常に興味深い内容でしたので、抜粋しながらご紹介したいと思います。
フィンランドでのフェス
0:30
I: Europe はライブ活動を再開して、いくつか既に公演をやったそうですね?感触はいかがでしたか?
H: そうなんだ。フィンランドで2つのフェスに出演したんだけど、これはこの一年半で初めてのショーだった。
何と言うか、もう一度「歩き方を思い出す」感じだったね(笑)それでも、僕らは上手くやったと思うよ。
フィンランド人はほんとにロックを愛しているし、オーディエンスからのリアクションも素晴らしかった。
I: あなた方がステージに戻りたかったのと同じくらい、ファン達もライブの再開を熱望していたでしょうね。
H: 間違いないね。フィンランド人は元々ワイルドな所があるけど、今回のショーでは輪をかけてワイルドだったよ(笑)
皆ライブの再開をほんとに待ちわびていたんだと思うな。
新曲の制作は?
2:20
I: 新曲に関してはどうですか?ツアーが無くなって取り組める時間が出来たかと思いますが、ニューアルバムの可能性は?
H: バンドの作曲陣が曲を書いているのは知ってるけど、バンドとして具体的に取り組んでいるという段階ではないね。
ジョーイ(・テンペスト)とも話したけど、「作曲モードに入った」って言ってたよ。
この一年半は皆がそれぞれの洞窟に籠っていたようなものだから、再びクリエイティブになってバンドとして団結していかなきゃいけないね。
でも、しっかりとコミュニケーションは取ってるし、願わくば来年はもっと忙しくなると思う。
新作をレコーディングしてリリースするのに適した年になるんじゃないかな。
お気に入りの一枚は?
3:35
I: バンドの過去の作品を見返してみて、特定のお気に入りのアルバムはありますか?
H: それに答えるのはなかなか難しいよ。だって、それぞれのアルバムに良い曲がたくさん入ってるんだから。
このコロナ渦で時間が出来て、家で過去のアルバムを落ち着いて聴き返してみたんだけど、「なんだ、各アルバムに良い曲が結構入ってるじゃないか。オレ達、かなり良いバンドじゃん!」って思ったよ(笑)
I: 笑
H: でも、僕が敢えて一枚選ぶとすれば、なぜかわからないけどいつも”Prisoners in Paradise” になるんだよね。
I: へぇー、そうですか!
H: あのアルバムはNirvanaが登場してグランジの盛り上がりの真っただ中でリリースされたから、あまり触れられることが少ないんだけど。
”Prisoners in Paradise”
4:50
I: 面白いことに、私は後でこのアルバムについてお伺いしようと思っていたんですが、せっかく触れて頂いたので今お聞きしたいと思います。
実は私もこのアルバムが大好きなんですが、仰る通り、リリースのタイミングとしては良くなかったですよね。
”Prisoners in Paradise” のセールスはアメリカでは振るいませんでしたが、ヨーロッパではどうだったんでしょうか?
H: スウェーデンを始め北欧でのセールスは悪くなかったと思う。全世界での総売り上げは100万枚ぐらいだったんじゃないかな。
それでも今日のシーンを基準に考えたら、十部良い数字だよね。
I: 今それだけ売ったらもう万々歳ですよ(笑)
H: あのアルバムからシングルカットされた2曲は、ここスウェーデンではチャートの上位に食い込んだし、そのうち一曲はイギリスでもチャートのかなり上位に行ったはずだ。
(*”I’ll Cry for You” が全英28位なので、当時のシーンを考えれば確かに悪くないのではないかと…)
だから、決して大失敗したわけではなかったんだよ。
問題だったのは、レコード会社があのアルバムを全然プッシュしようとしなかったことだった。
彼らはグランジに惚れ込んでいたからね。
そういう意味であのアルバムは、「フェアじゃない扱いを受けた作品」だし、さらには、70~80年代のバンドは皆同様の扱いを受けていたと思う。
当時の僕らのレーベル(ソニー)は、”Hey Stupid” / Alice Cooper、”Pain Killer” / Judas Priest、”Backlash” / Bad English といった作品を(乱暴にも)ほぼ同じタイミングでリリースし、セールスの見込みがありそうなアルバムだけをプッシュしたんだ。
で、それ以外のアルバムはあっという間に消えて行ったよ。
残念ながら、僕らの”Prisoners in Paradise”はその中の一枚になってしまったというわけさ。
ただ、あの頃の僕らはもう燃え尽きていたというのも事実だった。
当時はマネージメントと問題を抱えていた上に、ずっとツアーを続けていたからバンドの状況も厳しかったんだ。
なので、あのアルバムに伴うツアーが終わった後の休止は必然だったと思うよ。
一新されたバンドとの「パイプ」
8:25
H: 僕らは”Prisoners in Paradise”のレコーディングに向けたプリプロの段階で、古いシアターを貸し切ってそこにレコーディング機材を持ち込み、(無観客)ライブ形式で録っていくことを考えていたんだ。
でも、レコード会社はそのアイデアを許可せず、僕らは通常のスタジオレコーディングで行くことになった。
それでも、バンドはレコーディングに向けてポジティブな雰囲気だったよ。
問題だったのは、僕らがレコーディングしている真っ最中にソニーが担当スタッフのほとんどを入れ替えたことだった。
アルバムのレコーディングが終了してレコード会社に聴かせる段階になった時、R&D部門から来た連中は一度も会ったことがない人達だったよ、まだ雇われたばかりのね。
彼らはスタジオにやって来て、「さぁ、じゃあ新作を聴こうじゃないか」って言ったけど、そもそもEuropeがどんなバンドかも知らなかった。
で、彼らからの唯一の反応は、「この中にシングル候補は無いね」ということだった。
「もっと(良い)曲を書いてもらわないと、うちとしてはこのアルバムをプロモーション出来ない」とね。
ということで、僕らはまた作曲に戻り、結果としてアルバムのリリースは一年以上遅れることになった。
そして、この遅れの間にシーンはグランジ一色に染まっていた、ということさ。
(後半の話次第では)続く…かも
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