カルロス・カヴァーゾ (Ex-Quiet Riot) / #2 全米一位・K.ダブロウ&P. ショーティノ


アメリカで最初に商業的成功を収めたヘヴィーメタルバンドとして認知されている Quiet Riot。


その中心メンバーだったカルロス・カヴァーゾのインタビューPt.2!


あまりインタビューを受ける印象のない彼ですが、今回は「"Metal Health" ビルボード一位の瞬間」「二枚目のプレッシャー」「作曲面での変化」などが語られています。



I: インタビュアー

C: カルロス



遅れて気が付いたNo.1


12:35



I: 私が皆にしっかりと伝えたいのは、あの “Metal Health”というアルバムがどれほど大きな存在だったかということです。


あなた方はビルボードチャートであのマイケル・ジャクソンを抜き去り、The Policeの”Synchronicity” を一位の座から引きずり下ろし、あなた方の後に一位になったのは、ライオネル・リッチーでした。



さらには、このアルバムはトータルで600万枚の売り上げを記録することになり、あなた方は初めてプラチナムレコードの認定を受けたヘヴィメタルバンドとなりました。


これがどれほど衝撃的な出来事だったのか人々が理解しているかはわかりませんが、あなた方自身はどうでしたか?


そういった自分達の勢いを感じていましたか?



C: アルバムが一位になった時、僕らは日々懸命に働いていたから、チャートの情勢は把握しておらず気が付かなかったんだ。


ある時、ツアー中に雪が降って公演をキャンセルせざるを得なくなり、数週間オフになったんだ。


それで帰宅した時に初めてあのアルバムが話題になっていることに気が付いたよ。



あの当時、僕は特段それについて考えたりしなかったよ。上手く行くように祈りながら、その時やれることをやっていた、という感じかな。


I: そして、あなた方にとっては何をやるにしても初めてだったわけですよね?あなた方よりも先に、あの規模で成功したメタルバンドはいなかったわけですから。


C: そうだね、僕ら自身も若造だったし、それ以前にあんな規模で国内・海外ツアーを周ったことはなかったから。



あの状況の中でどのように成長すべきか、学ぶ必要があったよ。残念ながら、望んだほどそれは長続きしなかったけどね。


バンド内部での対立なんかが起きたりね。



続くアルバム "Condition Critical"


14:45 


I: 1984年、次のアルバム”Condition Critical” がリリースされますが、もちろん一枚目の大成功を超えようとすることは難しかったと思います。大きなプレッシャーはありましたか?



C: んー、プレッシャーについて考えたことはなかったね。


それよりも問題だったのは、レコード会社が僕らに「やるべきこと」を指示してきたことだった。


本来であれば僕らが一枚目でやったように、僕らのやりたいようにプレイさせるべきだったのにね。そうすればもっと良い結果になっただろうに。



ところが一度成功を体験した途端、彼らは「もっとこうしたらどうだ?」「オレ達にはもっとラジオでのオンエアが必要だ」とか、「ギターの要素が多すぎるからもっと減らせ」だの…。


馬鹿げた話だよな。


作曲面での変化


15:40 


I: 最初の頃は、あなたとケヴィン(・ダブロウ)でほとんどの曲を作っていましたが、アルバムを出すにつれて他のメンバーとの共作が増えていきましたよね。


あれはもしかして嫉妬とかもあったのでしょうか?



C: まぁ、多少はそれもあったね。


基本的にはQRの作曲は僕とケヴィンによるもので、多分9割はそうだと思う。


でも、ある時、皆が平等に作曲に関われるように決めたんだ。


もちろん、僕とケヴィンの原曲が採用されることがほとんどだったけれど、それでもそれを形にするためには他のメンバーのインプットが必要な訳でね。



彼らはその作曲のクレジットに値するよ。



K.ダブロウとP.ショーティノ


17:55 


I: ケヴィンに関してはもう過去にもたくさん語られていると思いますが、本質的にはバンドがケヴィンをクビにしたということですよね?



C: あぁ、そうだ。彼が大きなエゴを持っていたことは秘密でも何でもないと思うし、あのアルバムでの成功がそれをさらに助長したかはわからないけど。


あの頃は *“Celebrity Damage Control”も無かったしね、あの頃にそういうのがあれば良かったのにと思うけど。


(*同タイトルの番組を指しているのか、もしくは突如有名人になって陥ってしまう罠からの救済そのものを指していると思われます)


彼をコントロールするのは難しかったよ。



彼には大きな野心があったし、もしかするとそれがあの成功の原動力になったのかもしれないけど、彼は言うべきではないことを言っていたし、バンドに対して敵意を持っていたしね。酒の影響もあっただろうけど。


I: その後、バンドにはポール・ショーティノが加入し”QR”アルバムを制作、活動を継続させますよね。


あの頃についてお話頂けますか?



C: ポールは素晴らしいシンガーであり、とても働きやすいヤツだ。


残念ながら、あのアルバムは商業的には成功しなかったけど、僕は良いアルバムだと思ってるよ。


でも、ファンはきっとオリジナルラインナップを望んでいたんだろうね。


続く…