スティーヴ・スティーヴンス #1 / 氷室京介・日本での体験・ルーツ


今回のインタビュー訳は、ギタリスト対談!


長年アリス・クーパーの右腕として活躍し、スラッシュやギルビー・クラークとのツアー経験もあるライアン・ロキシーが、同じく長年ビリー・アイドルを支えてきたスティーヴ・スティーヴンスを迎えたトーク。



これ、本編は数か月前に訳もご紹介した既発のものだと思われますが、今回公開された部分もなかなか興味深いお話があったので、ご紹介いたします。


R: ライアン

S: スティーヴ



氷室京介との活動


R: スティーヴ、キミは長年に渡って非常に個性的な人達と仕事をしてきたよね。


これは多くの人々があまり理解していないことだと思うけれど、有名なシンガーたちの右腕になって働くということは、それだけ強烈な個性に対応していかなきゃいけないよね。


これって言い方としては正しいよね?(笑)



S: ああ、そうだと思うね(笑)


R: ビリー・アイドルにヴィンス・ニール、セバスチャン・バックにマイケル・ジャクソン…


そして、僕が知って最も驚いたことが…正しく発音できると良いんだけど、キミは日本人シンガーのキースキー…ヒムロ…?と誰よりも多くアルバムを作った人なんだって?


これって、本当?



S: ああ、ヒムロだね。


ただ(作品数に関しては)、ベストアルバムとかの企画盤もあるからね。実質的に僕が彼と作ったオリジナルアルバムは3枚だ。


90年代、僕は一年のうち3ヶ月を日本で過ごしていたんだ、全員日本人のバンドに混じってね、「ガイジン」は僕だけだったよ。


(*ここ、I was the only "gaijin" って言っててビックリ!・笑)



でも、ほんとにすごい体験だったよ、映画 "Lost In Translation" を地で行くような日々だった。


R: キミはビル・マーレイだったってことだね?(笑)


S: まさにそうさ!



意味不明、なぜあの番組に??


1:53


S: これは日本で起きた一番クレイジーな出来事だ。


まだアメリカのケーブルTVで "Iron Chef" が放送される前の頃、僕は日本であの番組「料理の鉄人」に出演したんだ。


(↑リンクはスティーヴのFacebookページの動画に飛びます)



僕はその番組のことを全く知らなくて、観客席での観覧に呼ばれたんだろうと思っていたら、「いや、観客じゃない。キミはゲストとして番組に出るんだ」と伝えられてね(笑)


もちろん進行は全部日本語だし、通訳に突然「はい、起立してください」みたいに言われたりして、もう言われるがままの状態さ(笑)


現実とは思えない体験だったな。



R: でも、その頃にはソロアーティストとして、ビリー・アイドルのギタリストとして、日本でも知られていたんでしょ?


R: ああ、そうだね。



69~73年のブリティッシュ・ロック


6:30


S: ロックンロールの素晴らしい所は、僕らはいつだって過去の素晴らしい作品を振り返ることが出来るという点だ。まるで図書館に足を踏み入れるかのようにね。


僕にとっては、69~73年の間にリリースされたブリティッシュ・ロックは何だって貪るように聴いていたよ。



その昔、NYのラジオで毎週金曜日に "Things From England" という番組があってね。


そこでプレイされた曲は片っ端から買ってたよ、Sweet や Slade、Led Zeppelin の新曲にクールなプログレ…ジャンル問わずね。


で、昔オレとビリーが音楽の話をし始めた時、オレ達は全く同じようなレコードを持っていることが分かったんだ。



R: 僕から見ると、ビリーのパンクなアティチュードとキミのクラシック・ロックに関する深い知識は完璧なブレンドだと思うんだ。


というのも、ビリー・アイドルの1st アルバムや 3rdの "Whiplash Smile" なんて、僕にとっては「曲に対してどうやって『素晴らしいギターパート』を構築するか」のお手本みたいなものなんだ。



僕は常に「ギターパートを中心に聴く男」で、TOP 5 を言わせてもらえるなら、恐らくNo.1 はブライアン・メイだろうね。


作曲からソロ、各フレーズに至るまで…


S: 間違いない、彼は天才だもの。


R: あとは、Pat Benatar のギタリスト、ニール・ジェラルドも素晴らしいと思う。


(*ニールは本当に良いギタリストだと思います!)


続く…


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